十字軍にとってのビザンツ帝国とは|なぜ攻撃されたのか

十字軍の目的地「ビザンツ帝国」編

この記事ではビザンツ帝国が十字軍の攻撃対象となった理由と、その歴史的背景について解説しています。ビザンツ帝国が直面した運命や十字軍との複雑な関係に注目し、詳しく探っていきましょう。

十字軍にとってのビザンツ帝国とは|なぜ攻撃されたのか

ビザンツ帝国は、ローマ帝国の東方領土、東ローマ帝国として栄華を誇った一方で、十字軍時代には攻撃の標的ともなりました。キリスト教を共にする国でありながら、なぜ攻撃対象となったのか。この背景には、宗教や政治、貿易といった複雑な要因が絡んでいます。今回は、ビザンツ帝国が十字軍によって攻撃されるに至った歴史的経緯や、その根本にある対立関係について迫ります。

 

 

「ビザンツ帝国」とは

ビザンツ帝国は、東ローマ帝国の呼び名として知られ、首都コンスタンティノープルを中心に4世紀から1453年まで存続しました。この帝国は、古代ローマの伝統を継承しつつも、キリスト教を基盤とした独自の文化を築き上げ、ヨーロッパとアジア、さらには地中海と黒海を結ぶ貿易ルートの拠点でもありました。また、ビザンツ帝国はその広大な領土を維持するため、イスラム勢力や東ヨーロッパの諸民族と激しい戦いを繰り広げ、国力を消耗させていきました

 

その影響力は宗教界にも及び、コンスタンティノープルはカトリックのローマと並ぶキリスト教世界の中心地と見なされていました。しかし、ビザンツ帝国は長らくローマ教会との対立関係にあり、東西教会の分裂(1054年)によってその関係はさらに悪化しました。こうした背景が、十字軍との関係にも少なからぬ影響を与えたのです。

 

「ビザンツ帝国」の重要性

地中海と黒海、さらにはヨーロッパとアジアを結ぶ十字路に位置するビザンツ帝国は、交通と貿易の要衝であり、戦略的に重要な存在でした。特に首都コンスタンティノープルは、壮大な宮殿や教会が立ち並ぶ一大都市であり、各国の商人が集う一方で、豊富な交易品が流通する拠点でもありました。

 

そのため、ビザンツ帝国を支配下に置くことは、莫大な富と貿易路の独占を意味しました。さらに、キリスト教世界の東側を守る砦としても重要な役割を果たしており、ヨーロッパ諸国やローマ教皇にとっては頼りになる存在でもあったのです。しかし、十字軍が本格的に派遣される頃には、ビザンツ帝国はかつての力を失いつつあり、内部には様々な問題が山積していました。

 

「ビザンツ帝国」の歴史

ビザンツ帝国の長い歴史は、ローマ帝国の東西分裂から始まり、幾度もの侵略と防衛戦を繰り返してきました。とりわけ、十字軍との関わりはその運命を大きく左右するものでした。以下に、十字軍時代とその後のビザンツ帝国について詳しく見ていきます。

 

十字軍時代以前

十字軍が派遣される前、ビザンツ帝国はアラブ帝国や東欧の遊牧民族との戦争を繰り返し、国力の多くを軍事に注いでいました。また、東西教会の分裂が1054年に起こり、ビザンツ帝国はカトリック教会と断絶状態にありました。これにより、東ローマ帝国と西欧諸国の関係が悪化し、両者の信頼関係が徐々に崩れ始めていったのです。

 

十字軍時代

ビザンツ帝国は、イスラム勢力からの圧力に苦しみ、ついにはローマ教皇に救援を要請しました。こうして1096年に第一回十字軍が開始され、ビザンツ帝国は聖地奪還に協力することになります。しかし、ビザンツ皇帝と十字軍のリーダー間には、目的や利害の不一致が生じてしまいました。十字軍が聖地エルサレムの征服に成功すると、ビザンツ帝国に返還されるはずの領地が十字軍の各王国によって保持され、両者の対立が深まっていったのです。

 

第四回十字軍(1202年 - 1204年)では、もはやビザンツ帝国は同盟国ではなく、攻撃対象となりました。十字軍の兵士たちは利益を優先し、コンスタンティノープルに攻め入る決断を下し、ビザンツ帝国は略奪の対象となったのです。この攻撃により、コンスタンティノープルは荒廃し、多くの文化財や財産が奪われました。この出来事が、ビザンツ帝国の力を大幅に削ぐ決定打となったのです。

 

十字軍時代終結後

第四回十字軍によるコンスタンティノープルの占領により、ビザンツ帝国は一時的に消滅し、ラテン帝国が成立しましたが、これは長続きせず、1261年にはビザンツ帝国が復活しました。しかし、この時点で国力は大きく衰えており、オスマン帝国の侵攻に備える体力は残っていませんでした。やがて1453年、コンスタンティノープルはオスマン帝国のメフメト2世(1432年 - 1481年)によって陥落し、ビザンツ帝国は歴史の幕を閉じました。

 

現在

現在のコンスタンティノープル、すなわちイスタンブールは、オスマン帝国とその後のトルコ共和国の影響を受けながらも、ビザンツ帝国時代の遺産を色濃く残しています。聖ソフィア大聖堂などは、ビザンツ帝国時代の輝きを今に伝える遺産として、観光客や歴史研究者の注目を集めています。また、十字軍時代に奪われた宝物や美術品の多くが、ヨーロッパ各地に散在し、歴史的な興味を引き続けているのです。

 

以上、ビザンツ帝国についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • ビザンツ帝国は十字軍以前から周辺勢力との争いを続けていた
  • 第四回十字軍により、味方であるはずの十字軍に攻撃されてしまった
  • 最終的にオスマン帝国によって滅亡し、その影響は現在まで続いている

 

・・・という具合にまとめられるでしょう。

 

ようは「宗教的・政治的な対立が引き金となったビザンツ帝国の衰退」という点を抑えておきましょう!