十字軍といえば戦場での衝突を思い浮かべるかもしれませんが、第6回十字軍は異例の成功を収めた遠征でした。この遠征を率いたのは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(1194-1250)で、彼は武力をほとんど使わずして聖地エルサレムを手に入れるという歴史的快挙を成し遂げたのです。その秘密は巧妙な外交戦術。果たしてどのような経緯で、そして何が彼をその成功へと導いたのか。その驚くべき成果を見ていきましょう。
第6回十字軍の中心人物は、やはり神聖ローマ皇帝のフリードリヒ2世でしたが、彼を支えた仲間や、交渉相手となったエジプトのスルタンアル・カーミルも重要な役割を果たしました。
フリードリヒ2世(1194年 - 1250年)は、神聖ローマ皇帝として知られる優れた知識人であり、独特の戦略を持つ人物でした。ヨーロッパとイスラム世界に共通の理解を持ち、実際にイスラム教徒とも友好的な関係を築いたことでも有名です。彼の指導の下、第6回十字軍は大きな方向転換を迎えました。
エジプトのスルタンアル・カーミル(1180年 - 1238年)もまた、フリードリヒと同様に外交に長けた人物でした。彼はアイユーブ朝を率い、ヨーロッパとの交渉を積極的に行い、十字軍との武力衝突を避けることを模索していたのです。
第6回十字軍の主な目的は、再び聖地エルサレムをキリスト教徒の手に取り戻すことでした。しかし、フリードリヒ2世は従来の十字軍とは違い、武力行使ではなく、交渉による解決を模索します。彼は「キリスト教の守護者」としての立場を強調しながらも、イスラム世界との共存を重視していました。
またフリードリヒ2世にはもう一つの重要な目的がありました。彼は教皇グレゴリウス9世からの反感を抱えつつも、王としての影響力を示し、内外に自分の権威を確立したいと考えていたのです。したがって、聖地を戦わずして奪還することは、彼にとって絶好の機会だったわけですね。
フリードリヒ2世は1228年に遠征を開始しますが、この時点で教皇グレゴリウス9世との関係は悪化しており、教会から破門される事態にまで発展していました。それでもフリードリヒはあくまで聖地奪還のための遠征を続行します。そして到着後、直接的な戦闘は行わず、交渉に重きを置きました。
彼はエジプトのスルタン、アル・カーミルとの間で交渉を進め、最終的にはエルサレムの領有権をキリスト教側に譲渡することで合意に至ります。この1229年の条約により、キリスト教徒はエルサレムへの自由な巡礼が許され、さらに周辺の地域も一部返還されました。この成果が、第6回十字軍の「戦わずして勝つ」結果へと結びついたのです。
この遠征の結果、フリードリヒ2世はエルサレムに入城し、自ら聖地の支配者としての地位を得ることができました。エルサレム奪還は、十字軍史上類を見ないほどの「外交的な勝利」でしたが、その一方でフリードリヒは教皇との関係悪化や、軍事的支援をしなかったことでヨーロッパからの支持を失います。
また、アル・カーミル側から見ても、エルサレムの譲渡は一時的なもので、支配権の完全な放棄ではありませんでした。そのため、イスラム側からの反発は大きく、長期的な解決には至らなかったものの、一時的な平和を実現した意義は大きいと言えるでしょう。
フリードリヒ2世の外交による成功は、十字軍の新たな可能性を示しました。武力に頼らず交渉で目的を達成するというアプローチは、従来の戦争に疲弊していたキリスト教・イスラム両社会に対し新たな解決法を提示したといえるでしょう。
以上、第6回十字軍の目的と結果についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「第6回十字軍は外交でエルサレムを奪還した成功例」という点を抑えておきましょう!