1187年、エルサレムがサラディンによって再びイスラム勢力の支配下に置かれると、キリスト教世界は奮起し、第3回十字軍が始動しました。この遠征には、欧州三大国のリーダーが直接参戦するという壮大な規模が特徴でした。イングランド王リチャード1世(獅子心王)、フランス王フィリップ2世、そして神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の3人の英雄が中心に立ち、各々の力を駆使してイスラム勢力と対峙しました。本記事では、これら3人のリーダーを通して第3回十字軍の軌跡を辿ります。
第3回十字軍は、1187年にエルサレムがサラディンによって再び陥落したことを受けて行われました。キリスト教徒にとってエルサレムは特別な地であり、イスラム教徒の支配下にあるという事実は大きな衝撃をもたらしました。この十字軍は、ヨーロッパの名だたる王が結集し、エルサレムを再び奪還するための戦いを繰り広げた遠征でした。
第3回十字軍の発端となったのは、1187年にサラディンが聖地エルサレムを占領したことです。これにより、キリスト教徒の聖地がイスラム勢力の手に落ち、キリスト教世界全体が強い危機感を抱きました。ここでエルサレム奪還の必要性が叫ばれ、ヨーロッパの王たちが一致して立ち上がることとなったのです。
この第3回十字軍の呼びかけ人は、教皇グレゴリウス8世(1105 - 1187)でした。彼はサラディンによるエルサレム陥落後、キリスト教世界に緊急の十字軍遠征を求めました。さらに、教会や説教者たちも熱心に奮い立ち、信仰の力で聖地奪還に貢献することを期待して多くの兵士が集まったのです。
第3回十字軍には数万人の兵士が参加したとされています。特にイングランド、フランス、そしてドイツの王たちが率いた大軍が主力を形成していました。彼らは、エルサレム奪還を目指し、地中海を渡って中東へと向かいました。
第3回十字軍は、エルサレム奪還という当初の目的を果たすことができませんでした。しかし、リチャード1世によってアッコンやヤッファなどの都市を奪還し、キリスト教徒の巡礼を許す合意に至りました。主要なリーダーの1人であるフリードリヒ1世が道中で事故死するなど、途中で大きな損失がありましたが、彼らは奮闘し続けたのです。
ここからは、第3回十字軍の主要な参加者である3人の王に焦点を当てていきます。それぞれのリーダーが果たした役割とその影響力について詳しく見ていきましょう。
まずご紹介するのは、リチャード1世(1157 - 1199)です。獅子心王と称される彼は、イングランド王としてその勇敢さと戦略的な能力で広く知られていました。リチャード1世はアッコンの攻略やヤッファの防衛戦で活躍し、サラディンと一騎討ちを行うほどの威勢を誇りました。しかし、エルサレムを奪還することは叶わず、やむなくサラディンと休戦協定を結び、キリスト教徒が巡礼できる条件を勝ち取ったのです。
次に紹介するのは、フィリップ2世(1165 - 1223)です。フランス王としてフランス国内での権威を確立した彼は、リチャード1世と共に第3回十字軍を率いました。しかし、リチャード1世との不和や病気が原因で、フィリップ2世はアッコン攻略の後にフランスへ帰国する決断をしました。
そして、フリードリヒ1世(1122 - 1190)です。彼は神聖ローマ帝国の皇帝であり、威厳ある指導者として知られています。フリードリヒ1世は十字軍の中でも最も年長のリーダーであり、その存在はヨーロッパ全体の士気を高めました。しかし、遠征中に小アジアで川を渡る際の事故により命を落としてしまいました。この出来事は十字軍全体に少なくない打撃を与え、特にドイツ軍の士気に影響を及ぼしました。
第3回十字軍では、当初の目的であるエルサレム奪還が叶わなかった一方で、キリスト教徒が聖地巡礼を続けられる条件を勝ち取ることができました。この十字軍からは、異なる王国の協力やリーダーシップの重要性が浮き彫りとなり、また個々の国がそれぞれの利益と戦略を持って行動する難しさも学ばれました。
以上、第3回十字軍のメンバーについての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「第3回十字軍はエルサレム奪還には至らなかったが巡礼条件を勝ち取った意義深い遠征」という点を抑えておきましょう!