中世ヨーロッパの宗教戦争が激化する中で、病者や巡礼者を保護するために生まれたマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)は、のちに軍事的な役割も担い、地中海防衛の一大勢力へと成長しました。しかし、十字軍とマルタ騎士団は似て非なるもので、各々の役割や目的には大きな違いがあります。本記事では、騎士団の歴史やその意義を探りながら、十字軍との違いにも触れていきます。
マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)は、聖地エルサレムで負傷者や巡礼者を支援するために創設された騎士修道会です。元々は医療と介護を使命としていましたが、十字軍遠征の中で軍事的な役割も担うようになりました。この変遷の中で、単なる医療支援を超えた重要な地位を獲得し、最終的には地中海での防衛拠点としての役割を果たしていきます。
マルタ騎士団と十字軍はしばしば混同されますが、実はその目的や活動範囲に明確な違いがあります。ここでは彼らの関係性や違いを詳しく見ていきましょう。
十字軍は11世紀から13世紀にかけて行われたキリスト教の軍事遠征で、聖地エルサレムをイスラム勢力から奪還するためのものでした。マルタ騎士団はこの十字軍の中で巡礼者を保護する支援組織として誕生しましたが、戦いが激化する中で自身も戦闘に参加するようになります。このように、騎士団は十字軍に関連した活動を行ってはいましたが、十字軍自体が「短期間の遠征軍」であるのに対し、マルタ騎士団は恒久的に活動する組織だったのです。
十字軍は聖地奪還という目的のもと、多くのキリスト教徒が集まる一時的な軍勢でした。一方、マルタ騎士団は戦闘員であると同時に、修道士としての誓いを立てた常駐型の軍事修道会です。彼らは日常的に地域の守護を行い、宗教的な使命と社会的な支援を行うことを継続的に追求していました。この点で十字軍とは異なり、騎士団は長期的な秩序と安定を目指す組織だったといえるでしょう。
マルタ騎士団の歴史は変遷に富み、時代とともにその使命も拡大しました。以下では、騎士団の創設から成長、そして衰退までの流れを見ていきましょう。
マルタ騎士団はもともと聖ヨハネ騎士団としてエルサレムで設立されました。11世紀の終わり頃、聖ヨハネ病院という病院が巡礼者支援を目的として設立され、ここから巡礼者の保護と支援を目的とした騎士団が発展しました。この時期、騎士団は戦闘よりも医療支援が中心であり、巡礼路を行く多くの人々にとってかけがえのない存在でした。
しかし、イスラム勢力の攻撃が強まり、エルサレムが危機に瀕すると、聖ヨハネ騎士団は巡礼者支援だけでなく、戦闘の役割も果たすようになります。12世紀から13世紀にかけて、騎士団はイスラム勢力との戦闘に参加し、地中海での防衛活動を展開しました。その後、ロドス島やマルタ島を拠点にして、海賊行為や異教徒の侵攻を防ぐ役割も担います。このようにマルタ騎士団は軍事面でも活躍し、「聖地防衛の守護者」としての名声を確立しました。
17世紀以降、オスマン帝国の強力な圧力を受けて騎士団の力は次第に衰えました。1798年、ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)がマルタ島を占領したことで騎士団は島を失い、拠点を移さざるを得なくなります。その後も存続はしましたが、もはや当初の勢力を保つことはできず、マルタ騎士団は名実ともに衰退していったのです。
マルタ騎士団はその後のヨーロッパにもさまざまな形で影響を与えました。特に宗教的・社会的な支援活動を通して、現在もその影響は残っています。
マルタ騎士団は医療支援から始まりましたが、この活動は近代の医療サービスの基礎となりました。巡礼者や負傷者への支援が重視されたことで、医療施設や支援体制の確立が進みました。このように、医療活動は後世に大きな影響を与えたのです。
騎士団の医療活動は現代の福祉や支援活動にもつながっています。現在のマルタ騎士団は国際的な福祉活動や災害支援にも携わり、かつての医療支援の使命を体現し続けています。このように、歴史的な支援活動の精神が現代にも受け継がれているわけです。
また、マルタ騎士団が拠点としたロドス島やマルタ島には、その建築物や文化が多く遺されており、これらは現在でも世界遺産として保護されています。こうした遺産は、ヨーロッパの宗教的・軍事的な歴史の重要な一部であり、観光資源としても価値があります。
以上、マルタ騎士団についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「マルタ騎士団は、信仰と社会支援の融合を体現し、後世に大きな影響を残した」という点を抑えておきましょう!