「聖地奪還」を目指して始まった十字軍は、ヨーロッパから中東の聖地に向けて何度も派遣されました。しかし、壮大な宗教的目標を掲げたにもかかわらず、成果はさまざまで、期待どおりには進まなかったことも多々あります。十字軍は合計で何回派遣され、成功と失敗はそれぞれどれほどの割合だったのでしょうか?今回は、十字軍の遠征回数とその結果について詳しく見ていきます。
歴史的に十字軍は、1096年から1291年にかけて合計で9回派遣されました。最初の十字軍が1096年に発足し、最後の遠征が1291年に行われるまでの約200年の間、教皇や王たちは聖地奪還を掲げて戦士たちを送り出し続けたのです。こうした繰り返しの派遣は、当時のヨーロッパと中東の関係を大きく変え、宗教的、政治的な影響を今に残しました。
また、十字軍は単にキリスト教徒のイスラム勢力への遠征にとどまらず、のちにはキリスト教内部の「異端」とされた勢力や、東ローマ帝国といったキリスト教同士の争いにも派遣されるようになります。つまり、派遣回数の増加とともに、その性質も複雑化していったのです。
すべての十字軍が成功を収めたわけではありませんが、いくつかの遠征は一定の成果を上げたと評価されています。以下に、成功とみなされる遠征について説明します。
第一次十字軍は、唯一成功したと言われる遠征です。エルサレム奪還に成功し、1099年に聖地をキリスト教徒の手に取り戻しました。エルサレムに「エルサレム王国」というキリスト教国家が樹立され、十字軍国家が地中海東岸に続々と設立されました。この遠征が十字軍の象徴的な成功として知られる理由は、実際に目的が達成されたからなのです。
第三次十字軍では、イングランド王リチャード1世(1157年-1199年)やフランス王フィリップ2世(1165年-1223年)らが率いてエルサレム奪還を目指しました。最終的に聖地エルサレムの奪還は叶いませんでしたが、イスラム教徒の指導者サラディン(1137年-1193年)との間で講和が成立し、キリスト教徒がエルサレム巡礼の自由を得ることができました。完全な成功ではなかったものの、一定の成果を残した遠征といえます。
成功した遠征が数少ない一方で、十字軍の多くは失敗に終わりました。続いて、失敗とされる遠征について詳しく見ていきましょう。
第二次十字軍は、エルサレム奪還後に設立された十字軍国家がイスラム勢力に脅かされたため、再度派遣されたものです。しかし、ルートの選定や戦略上の失策、イスラム勢力の抵抗により、この遠征は失敗に終わりました。この失敗により十字軍の士気が低下し、次の遠征への影響を与えることとなりました。
最も象徴的な失敗とされるのが第四次十字軍です。エルサレム奪還が本来の目的でしたが、資金不足から東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを襲撃し、結果的に同じキリスト教徒の東ローマ帝国に打撃を与えてしまいます。この異例の行動は十字軍の使命からかけ離れており、後世に多くの批判を招きました。
第七次十字軍はフランス王ルイ9世(1214年-1270年)が率いた遠征で、エジプトのイスラム勢力に挑みました。しかし、十分な補給を得られず、敵の強力な反撃に遭い、ルイ9世自身が捕虜となる悲惨な結果に終わります。こうして、十字軍の目標が達成されることなく遠征が終了しました。
このように、十字軍は合計9回派遣され、初期の一部の遠征では一定の成功を収めたものの、その後の遠征はほとんどが失敗に終わりました。また、十字軍は単なる宗教的運動を超え、政治的・経済的な影響も多大なものとなりました。東ローマ帝国との対立や宗教間の緊張を深める要因ともなり、ヨーロッパと中東の関係に長期的な影響を及ぼすこととなったのです。
以上、十字軍の遠征回数についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「十字軍は9回派遣されましたが、その多くが失敗に終わった」という点を抑えておきましょう!