テンプル騎士団の歴史|十字軍との関係や違い

宗教騎士団解説「テンプル騎士団」編

この記事ではテンプル騎士団について解説しています。十字軍との関係や違い、創設の目的とその後の歴史、さらに後世に遺した影響に注目し、詳しく探っていきましょう。

テンプル騎士団の歴史|十字軍との関係や違い

中世ヨーロッパで多くの謎と魅力を抱える組織として知られるテンプル騎士団。聖地エルサレムを守るために結成され、十字軍とも深い関係を持ちながら、徐々に独自の役割を発展させました。その活動の根底には、キリスト教信仰を守るという使命がありましたが、金融や土地管理まで幅広く勢力を拡大し、最終的には宗教だけでなく政治的にも大きな影響を及ぼすようになります。今回はテンプル騎士団の成り立ちから栄光と衰退までを振り返り、彼らの謎めいた歴史に迫ってみましょう。

 

 

テンプル騎士団とは

テンプル騎士団は、聖地エルサレムの防衛と巡礼者の保護を目的に創設された宗教騎士団です。彼らは1119年、ユーグ・ド・パイヤン(1080 - 1136)を始めとするフランス貴族によって設立され、キリスト教徒の巡礼者が聖地を訪れる際の安全確保を担いました。名称は、エルサレムにおける彼らの本部が旧神殿(ソロモン神殿)の跡地にあったことから「テンプル騎士団」と呼ばれるようになったのです。キリスト教の守護者としての役割を持ちながら、騎士団は徐々に影響力を拡大していきます。

 

テンプル騎士団と十字軍

テンプル騎士団と十字軍の間には密接な関係がありましたが、活動の目的やその在り方においては異なる点も多く存在します。

 

関係

十字軍遠征が始まったことで、多くのキリスト教徒が聖地エルサレムを目指すようになり、騎士団は聖地の守護者として重要な役割を果たすようになりました。特にエルサレム奪還後、巡礼者の安全を確保するために設立されたテンプル騎士団は、戦闘の場にも度々立ちました。彼らは単なる宗教騎士団に留まらず、十字軍の武力としての役割も果たしていたのです

 

違い

十字軍が短期的な遠征を主体とする集団であったのに対し、テンプル騎士団は常設の組織であり、独立して活動する自治体的な存在でした。また、十字軍の指揮は国王や教皇が執っていましたが、テンプル騎士団は独自の規律と指導者を持ち、その管理も彼ら自身が行いました。これにより、聖地を守る戦闘集団である一方で、商業や財務管理などの役割も果たすことができるという特徴を持つに至ったわけです。

 

テンプル騎士団の歴史

ここでは、テンプル騎士団の成立からその隆盛、そして衰退と消滅までの歴史を見ていきましょう。

 

創設

テンプル騎士団は1119年に聖地巡礼者の安全を守るため、エルサレムで創設されました。初期の騎士団はわずか9名で構成されていましたが、教皇インノケンティウス2世(1143 - 1216)から正式な騎士団としての承認を受け、教会からの支援を受けるようになります。これにより、テンプル騎士団は財務と土地を得て、その影響力を拡大していきました

 

盛衰

エルサレム奪還の成功やヨーロッパ各地での寄付により、テンプル騎士団は莫大な財産を築き上げます。特に巡礼路の保護や巡礼者の宿泊施設運営においても活躍し、金融業にも着手することで金融機関としての役割も果たしました。さらに、騎士団はフランスやイギリスなどの主要な地域に拠点を構え、国境を超えた商業活動や財務管理を行い、広範な勢力圏を持つこととなったのです。

 

消滅

その巨大な富と権力はやがて各国の不興を買い、特にフランス国王フィリップ4世(1268 - 1314)はテンプル騎士団の財産を狙って圧力をかけました。1312年、教皇クレメンス5世(1264 - 1314)は騎士団の解散を命じ、フィリップ4世は団員を逮捕し財産を没収します。こうして、テンプル騎士団は歴史の表舞台から姿を消すことになったのです。

 

テンプル騎士団が後世に遺した影響

テンプル騎士団はその後も伝説的な存在として語り継がれ、いくつかの面で後世に大きな影響を与えました。

 

財務管理と金融システムの先駆け

テンプル騎士団が行った財務管理や金融活動は、近代銀行システムの先駆けとされています。巡礼者や戦士が預ける資金を管理し、巡礼地でその証明書を基に引き出す方式は、現代の預金証書に似た機能を持っていました。これは、後に銀行業務の基礎となったといわれています。

 

フリーメイソン形成に寄与

テンプル騎士団が消滅して以降、その影響は「フリーメイソン」の形成に繋がったという説があります。フリーメイソンは、テンプル騎士団の一部の理念や象徴を受け継いだとされ、彼らの独立した組織構成や集団的な忠誠心などの特色が含まれているのです。フリーメイソンが謎めいた存在として語り継がれるのは、テンプル騎士団の神秘的な消滅も影響しているのかもしれません。

 

宗教と武力の融合モデル

テンプル騎士団は、宗教と武力が組み合わさった独自のモデルを示しました。単なる宗教組織にとどまらず、宗教的な信念に基づき武力と財務管理を行う姿勢は、他の騎士団や修道会にも影響を与え、後の騎士道精神にも繋がる考え方を育んだのです。

 

以上、テンプル騎士団についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • テンプル騎士団は聖地防衛と巡礼者の保護を目的として設立された
  • 十字軍と密接な関係を持ちながらも独自の組織運営を行っていた
  • 銀行業務の先駆けやフリーメイソンへの影響を後世に残した

 

・・・という具合

 

にまとめられるでしょう。

 

ようは「テンプル騎士団は宗教的な使命を果たしつつ、金融や組織運営の革新をもたらした存在」という点を抑えておきましょう!