第8回十字軍の目的と結果|チュニスでの悲劇的な終わり

十字軍の目的「第8回十字軍」編

この記事では第8回十字軍とルイ9世の最期となったチュニス遠征について解説しています。目的や経過、そして結末の悲劇に注目し、十字軍の終焉について詳しく探っていきましょう。

第8回十字軍の目的と結果|チュニスでの悲劇的な終わり

第8回十字軍は、フランス王ルイ9世(1214年 - 1270年)が最後に挑んだ遠征として知られています。この十字軍は、アフリカ・チュニス(現在のチュニジア)を攻略することを目的に掲げられましたが、悲劇的な結末を迎えます。この遠征がどのような経緯をたどり、なぜ失敗に終わったのか、そして十字軍運動全体への影響とは何だったのでしょうか。

 

 

第8回遠征の主要人物

第8回十字軍の中心人物は、やはりフランス国王のルイ9世です。また、彼と同盟関係にあったシャルル・ダンジューも遠征を支える重要な人物として知られています。

 

ルイ9世

フランス王ルイ9世(1214年 - 1270年)は敬虔なキリスト教徒で、これまでにも数々の十字軍遠征を行ってきました。彼にとって十字軍は宗教的使命であり、イスラム勢力の打破こそがキリスト教の信仰を高めると信じていたのです。

 

シャルル・ダンジュー

シャルル・ダンジュー(1226年 - 1285年)はルイ9世の弟であり、当時シチリアの王でした。シャルルはチュニスに経済的な関心を持ち、商業の拠点としてこの地を支配したい意図もあって遠征に協力していました。

 

シャルルは南イタリアと地中海地域に勢力を広げており、チュニスの支配がもたらす経済的利益にも大きな期待を寄せていました。

 

第8回遠征の概要

遠征の目的

第8回十字軍は、北アフリカのイスラム勢力の拠点であるチュニスを攻略することが主な目的でした。ルイ9世は、チュニスを制圧することで地中海のイスラム勢力を封じ、キリスト教の勢力圏を拡大することを狙っていました。また、この遠征が成功すれば、エジプトやシリアへのさらなる攻撃拠点としても機能する見込みがあったのです。

 

さらにルイ9世は、チュニスの支配者がキリスト教へ改宗する可能性も視野に入れていたとされています。

 

遠征の経過

1270年、ルイ9世は軍を率いてチュニスに上陸しましたが、計画は早々に頓挫します。到着直後から遠征軍は、猛暑と疫病の蔓延に見舞われ、兵士たちは次々と命を落としていきました。さらに、食料や水の補給が困難な状況に陥り、軍の士気も急激に低下していきます。

 

この厳しい環境の中でルイ9世自身も疫病に感染し、ついに病床に伏してしまいます。そして1270年8月25日、彼はチュニスの地で帰らぬ人となりました。遠征軍は大混乱に陥り、目的を果たすことなく撤退を余儀なくされます。

 

遠征の結果

ルイ9世の死により、第8回十字軍は完全な失敗に終わりました。残された部隊はフランスへの帰還を決め、チュニス攻略の目標も叶うことなく、十字軍運動はここに事実上の終焉を迎えることとなります。この遠征の失敗とルイ9世の死は、キリスト教世界に少なくない打撃を与え、ヨーロッパ中の人々にとっても衝撃的な出来事でした。

 

ルイ9世の死後、彼は敬虔さと献身から聖人として列聖されましたが、十字軍運動自体への信頼は失われていきました。

 

遠征の影響

第8回十字軍の失敗は、十字軍運動の終焉を示す象徴的な出来事として後世に語り継がれています。ルイ9世が宗教的信念を貫きつつも目標を果たせなかったことは、キリスト教世界がイスラム勢力に対抗する力を失っていく一因となりました。

 

また、十字軍の終焉はヨーロッパ諸国の国王や貴族にとっても大きな転機であり、これ以降、ヨーロッパの関心は新たな商業ルートの開拓や内部統治の強化に移り変わっていきます。チュニスでの悲劇的な結末が十字軍運動に終止符を打ち、歴史の大きな流れが変わるきっかけとなったのです。

 

以上、第8回十字軍とチュニス遠征についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • ルイ9世はチュニス攻略を目指して遠征を開始した
  • 疫病と暑さによりルイ9世は命を落とした
  • 十字軍運動の象徴的な終焉となった

 

・・・という具合にまとめられるでしょう。

 

ようは「第8回十字軍は悲劇的な終焉を迎えた遠征」という点を抑えておきましょう!