十字軍は、キリスト教徒が聖地奪還を掲げた大規模な遠征として知られていますが、イスラム側では「十字軍」ではなく、「フランク人」と呼ばれていたのをご存知でしょうか?彼らがなぜこのように呼ばれたのか、その背景を知ると、キリスト教徒とイスラム教徒の歴史的な関係性が浮かび上がってきます。本記事では、この呼称に隠された歴史的な意味を深掘りしていきます。
十字軍と呼ばれる勢力には、さまざまな別名がつけられていました。ヨーロッパのキリスト教徒たちは、自らの使命を「聖地奪還の聖戦」と位置付け、そのために派遣された戦士たちを「キリストの兵士」などと称していたのです。彼らは自らを「十字軍」と呼び、これは胸や旗に掲げた十字の印から取られた名称です。
しかし、十字軍の戦士たちを異なる視点から見た人々にとって、この呼称は必ずしも共通のものではありませんでした。イスラム教徒にとって、キリスト教徒の大軍勢は「聖地への脅威」であり、単なる宗教的なシンボル以上の存在だったのです。そのため、イスラム教徒たちは十字軍を「フランク人」と総称し、彼らの出身や背景を意識して名づけました。
イスラム側が十字軍を「フランク人」と呼んだ背景には、当時のヨーロッパにおける勢力図があります。「フランク人」とは本来、フランク王国に属する人々を指していました。フランク王国は8世紀にカール大帝(742年–814年)の下で勢力を拡大し、西ヨーロッパ全土にわたって大きな影響を持っていました。その後、フランク王国が解体されてフランスやドイツ、ベルギーなどに分かれていきましたが、「フランク人」という言葉は依然としてヨーロッパ全体を指す意味合いを残していたのです。
特に十字軍が始まった11世紀ごろには、イスラム世界にとってフランス(旧フランク王国の中心)がキリスト教ヨーロッパの象徴的な存在でした。
十字軍の遠征はヨーロッパ全土から兵士が集まっていましたが、特にフランスからの参加が多く、十字軍の中核を担っていたのがフランス人だったことが、「フランク人」と呼ばれた理由の一つです。当時のイスラム側から見ると、フランスの戦士たちが最も目立っていたため、「フランク人」という呼び方が自然と広まったのです。
また、イスラム教徒は、キリスト教徒の中でも特にフランク人が地中海周辺で頻繁に交易や外交に関わっていたことも知っていました。こうした背景もあり、キリスト教徒の大集団を「フランク人」と呼ぶようになったのです。イスラム側の史料にも「フランク人」という記述が多く見られ、十字軍に参加したすべてのヨーロッパ人を指す言葉として使われました。
この「フランク人」という呼称がイスラム世界で一般的になったことで、十字軍は「フランク人が攻めてくる」という共通意識を中東地域に広めることになりました。「フランク人」という言葉は、十字軍時代以降もイスラム世界で長く使われ、異教徒やヨーロッパ人全体を指す用語として定着したのです。
例えば、オスマン帝国が栄えていた時代においても、ヨーロッパ人を指して「フランク人」という言葉が使われることがありました。これは十字軍時代の影響が続いていたことを意味しており、十字軍が当時のイスラム社会にどれほどのインパクトを与えたかを物語っています。
以上、十字軍が「フランク人」と呼ばれた理由についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「フランク人とは十字軍の象徴的な呼称」という点を抑えておきましょう!