第7回十字軍はフランス王ルイ9世(1214年 - 1270年)による十字軍遠征として知られています。イスラム勢力の中心地を攻める意欲的な計画が立てられたものの、予想外の戦略ミスが重なり、彼は捕虜生活を余儀なくされました。この遠征は失敗に終わり、十字軍の意義にも陰りが見え始めるきっかけとなりました。いったいどのような経緯で失敗に至り、その影響はどれほどだったのでしょうか。
第7回十字軍はフランス王ルイ9世の主導で行われ、イスラム側からはエジプトのスルタン・アイユーブ朝のサリーフが対峙しました。
ルイ9世(1214年 - 1270年)はフランス国王であり、敬虔なキリスト教徒としても名高い人物です。彼はエジプトを十字軍の次なる目標とし、イスラム勢力の要となる拠点を攻略しようと考えました。ルイ9世はこの計画の成功によって、十字軍の正当性と王権の強化を図っていたのです。
サリーフ・アイユービー(1205年 - 1249年)はエジプトのスルタンであり、十字軍に対する備えを整えていた人物です。彼はアイユーブ朝を維持しつつ、ルイ9世の攻撃を迎え撃つべく戦力を結集させていました。
第7回十字軍の目的は、従来の十字軍とは異なり、聖地エルサレムへの直接的な奪還ではなく、エジプトの攻略に主眼が置かれていました。エジプトを制圧することでイスラム勢力の力を弱め、結果的に聖地奪還を実現するという戦略です。ルイ9世はこの遠征によりキリスト教徒の結束を再び高め、十字軍の復活とフランス王権の象徴としての地位を築きたかったのです。
1248年、ルイ9世は大規模な軍勢を率いてエジプトへ向けて出発します。最初に上陸したダミエッタは無事に制圧されましたが、その後のナイル川を遡っての進軍が困難を極めました。湿地帯や疫病、補給路の不足に苦しみ、軍の士気は次第に低下していきます。
最も大きな失敗は、戦略的な判断ミスによるものでした。ルイ9世は目標をカイロに定めて進軍を続けましたが、ナイル川を越える過程でイスラム軍の強烈な反撃に遭い、最終的に捕虜として拘束されてしまいます。
捕虜となったルイ9世は、莫大な身代金を支払うことで解放されます。この時の屈辱は、十字軍としてもフランス王としても大きな打撃であり、またヨーロッパ全体にとってもショックな出来事でした。十字軍の限界が浮き彫りとなり、軍事的な威信も大きく低下しました。
その後、ルイ9世は再度十字軍を志しましたが、第7回十字軍の結果が与えた悪影響は甚大であり、キリスト教徒の支持を得ることも難しくなっていきます。
第7回十字軍は、キリスト教勢力にとって失望の遠征となりました。ルイ9世が捕虜となったことは、十字軍運動そのものの意義が揺らぐ転機となり、戦略的な再考が求められることとなったのです。また、十字軍への参加に対する支持も減少し、後の十字軍運動に対しても多くの影響を及ぼしました。
以上、第7回十字軍の目的と結果についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「第7回十字軍は戦略ミスと捕虜生活による屈辱」という点を抑えておきましょう!