第4回十字軍の目的と結果|なぜ?コンスタンティノープル占領のワケ

十字軍の目的「第4回十字軍」編

この記事では、第4回十字軍でコンスタンティノープルが占領された経緯について解説しています。なぜ聖地を目指した遠征が方向転換したのか、その背景と影響を探っていきましょう。

第4回十字軍の目的と結果|なぜ?コンスタンティノープル占領のワケ

1202年に始まった第4回十字軍は、最終的にキリスト教世界の中心都市コンスタンティノープルを占領するという驚きの結末を迎えます。本来は聖地エルサレム奪還が目的だったにもかかわらず、なぜ方向転換が生じたのでしょうか?この遠征の目的や背景、結果、そして歴史に残る転機となった理由について解説します。

 

 

第4回遠征の主要人物

第4回十字軍の遠征には、さまざまな人物が関与していましたが、特に注目されるのはヴェネツィア共和国の総督エンリコ・ダンドロ(1107年 - 1205年)と、ビザンツ帝国から援助を求めたアレクシオス4世アンゲロスです。彼らの思惑が重なり合い、遠征は予期せぬ方向へと進んでいきました。

 

エンリコ・ダンドロ

エンリコ・ダンドロはヴェネツィアの影響力を拡大するために第4回十字軍を商業的に利用しようとします。十字軍遠征には多額の費用がかかりましたが、彼の指導のもとでヴェネツィアは運送費の未払いを取り立てる形で遠征軍に影響を与え、ビザンツへの干渉を促していくのです。

 

アレクシオス4世アンゲロス

ビザンツ帝国の王子であるアレクシオス4世アンゲロスは、自身の父を皇帝の座に復帰させるため十字軍に援助を依頼しました。彼は膨大な報酬を約束し、その結果、十字軍は聖地ではなくビザンツ帝国へと向かうことになったのです。

 

第4回遠征の概要

遠征の目的

もともと第4回十字軍の目的は聖地エルサレムの奪還でした。しかし、当時のエルサレムはアイユーブ朝の支配下にあり、遠征には多額の資金が必要でした。そこで、十字軍はヴェネツィアの支援を得て船を準備しましたが、その運送費を支払うことができなくなってしまいました。ここでヴェネツィアのダンドロ総督が、エルサレムの代わりにビザンツ帝国への進軍を提案することになるのです。

 

遠征の経過

第4回十字軍はまず、ヴェネツィアの提案に従いハンガリーのザラを攻撃しました。これはキリスト教徒同士の戦いであったため、教皇インノケンティウス3世から破門される事態となります。その後、ビザンツ王子アレクシオス4世の要請を受け入れ、コンスタンティノープルに向かいましたが、ビザンツ側が約束した報酬を支払わなかったため、軍はやむなく占領を決意します。

 

1204年、十字軍はコンスタンティノープルを占領し、都市を略奪しました。これはキリスト教徒の聖地であるビザンツの首都が、同じキリスト教徒によって破壊されるという衝撃的な事件でした。

この略奪は文化財の破壊や流出を引き起こし、東西教会の分裂をさらに深めました。

 

遠征の結果

コンスタンティノープルの占領によって、ビザンツ帝国は一時的に滅亡し、代わって十字軍の傀儡政権であるラテン帝国が設立されました。ビザンツ帝国はその後も細々と存続しますが、かつての威容は失われていきます。さらに、この事件は東方のギリシア正教会と西方のローマ・カトリック教会の関係を決定的に悪化させ、東西の対立が長期化する結果を招きました。

 

遠征の影響

第4回十字軍の影響は、キリスト教世界に少なくない打撃を与えました。コンスタンティノープル占領によるビザンツ帝国の衰退は、オスマン帝国の進出を助長し、後にビザンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされる遠因ともなりました。また、東西教会の関係悪化もこの遠征が引き金となり、宗教上の分裂が名実ともに定着していきました。

 

西欧諸国はこの遠征によってビザンツ文化を接する機会を得ることにはなりましたが、教皇の求めた聖地奪還は実現されなかったため、第4回十字軍は失敗とも評されます。キリスト教徒同士が争う結果となり、その理念と現実とのギャップが浮き彫りとなった遠征だったのです。

 

以上、第4回十字軍の目的と結果についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • ヴェネツィアとアレクシオス4世の策略で聖地奪還から逸れる
  • コンスタンティノープルの占領と略奪
  • ビザンツ帝国の衰退と東西教会の対立激化

 

・・・という具合にまとめられるでしょう。

 

ようは「第4回十字軍は聖地奪還ではなく、キリスト教徒同士の争いに終わった」という点を抑えておきましょう!