1147年に始まった第2回十字軍は、キリスト教徒にとっての拠点であったエデッサ伯国の失陥を受けて実施されました。しかし、この遠征は困難に満ち、成果を得ることはできませんでした。なぜ十字軍はうまくいかなかったのか?本記事では第2回十字軍の目的とその結末、歴史に残した影響について見ていきます。
第2回十字軍には、ヨーロッパの有力者たちが参加しており、その中でもフランス王ルイ7世(1120年 - 1180年)と神聖ローマ皇帝コンラート3世(1093年 - 1152年)が中心的な役割を果たしました。この二人の君主はそれぞれの軍勢を率いて東方へ向かいましたが、困難に直面し続けることとなります。
フランスのルイ7世は敬虔なキリスト教徒であり、エデッサ奪還に尽力しようと考えていました。彼はエレノア・アキテーヌと共に東方に赴き、聖地奪還のために軍勢を率いて進軍しました。しかし、予期せぬ気候や物資不足などの影響で、その道中は厳しいものでした。
神聖ローマ皇帝コンラート3世は、神聖ローマ帝国の威信をかけて十字軍に加わりました。しかし、彼の軍は進軍途中で壊滅的な損害を受け、ほぼ全滅に近い状態で撤退を余儀なくされます。彼の軍の消耗は十字軍全体の勢いを弱める結果となったのです。
第2回十字軍の主な目的は、エデッサ伯国の奪還でした。エデッサ伯国は第1回十字軍の際に設立されたキリスト教徒の拠点で、十字軍国家の一つでした。しかし、1144年にエデッサはザンギーというイスラム勢力の指導者によって陥落し、キリスト教徒たちにとって大きな危機が訪れました。この事態を受けて、教皇エウゲニウス3世が十字軍遠征を再度呼びかけ、エデッサを取り戻そうとしたのです。
第2回十字軍は、ヨーロッパから東方への長い遠征を余儀なくされました。ルイ7世とコンラート3世はそれぞれの軍を率いてアナトリア半島に入りましたが、異常な暑さや食糧不足、病気などの困難に直面し、兵士の消耗が激しくなりました。また、現地のイスラム勢力からの激しい抵抗もあり、計画通りには進みませんでした。
さらに、ヨーロッパ軍同士の連携不足も問題でした。ルイ7世とコンラート3世の軍勢は合流する予定でしたが、うまくいかず、それぞれの軍は孤立して進軍することとなりました。こうして大きな成果を上げることなくエデッサ奪還は果たせず、多くの兵士が命を落とす結果に終わりました。
第2回十字軍は、目標であったエデッサ奪還に失敗しました。その後、ルイ7世はエルサレムに到着し、ダマスカスを攻略するために再度攻撃を試みましたが、これも成功することなく撤退を余儀なくされました。こうして第2回十字軍は、大きな成果を挙げられないままに終わります。
この失敗は、キリスト教徒の間に失望を生み、次第に十字軍への支持が揺らぐ原因の一つともなりました。加えて、イスラム勢力のザンギーやその後継者サラディンが勢力を拡大し、十字軍国家にとって厳しい状況が続いていくことになるのです。
第2回十字軍の失敗は、キリスト教世界とイスラム世界の対立をさらに深刻化させました。また、十字軍国家にとっても打撃となり、その後の防衛体制強化が求められるようになりました。この遠征が失敗に終わったことは、次のサラディンによる攻勢を促し、最終的にはエルサレム奪還への足がかりとなります。
さらに、十字軍の失敗はキリスト教徒の内部に不安と分裂をもたらしました。ヨーロッパの君主たちにとっても苦い経験となり、十字軍に対する考え方が変わっていく契機となったわけです。
以上、第2回十字軍の目的と結果についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「第2回十字軍はエデッサ奪還に失敗し、以降のイスラム勢力の進出を許す契機となった」という点を抑えておきましょう!