アッコの陥落|最後の十字軍拠点をめぐる壮絶な戦い

アッコの陥落

この記事では、最後の十字軍拠点が落とされた戦い「アッコの陥落」について解説しています。十字軍勢力が崩壊へと向かう壮絶な戦いの経過や影響に注目し、その歴史的意義を探っていきましょう。

最後の十字軍拠点をめぐる壮絶な戦い「アッコの陥落」

十字軍の歴史の終焉を告げる戦いとなったアッコの陥落。1291年、イスラム勢力が十字軍の最終拠点であるアッコに総攻撃を仕掛け、長年にわたり中東での支配を続けてきた十字軍国家はついに崩壊を迎えます。なぜ十字軍はこの地に執着したのか?そして、最後の戦いでどのようなことが起きたのか。この壮絶な戦いの経過とその影響について詳しく見ていきましょう。

 

 

戦争の前史

十字軍の拠点であったアッコは、重要な交易地として地中海貿易の要所でした。特にフランク王国を含む西欧諸国にとっては、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム勢力から奪還するための拠点として、戦略的に極めて重要な場所だったのです。アッコは1187年のハッティンの戦いで一度イスラム勢力に奪われましたが、1191年にリチャード獅子心王率いる十字軍が再び奪取し、十字軍の聖地防衛の最前線となりました。

 

しかし13世紀末になると、十字軍の影響力は衰え、資金や兵力も減少します。イスラム側では、エジプトを支配していたマムルーク朝が拡大し、徹底的な対十字軍政策を打ち出していました。これにより、アッコは最後の砦となり、ここを巡る争いが避けられなくなったのです。

 

戦争の原因

マムルーク朝は、イスラム圏から十字軍を一掃することを目標とし、徹底的な攻撃態勢を整えていました。特に、スルタン・カラーウーン(1222-1290)の時代にはアッコ攻略が本格的に計画され、その意志は彼の後を継いだアシュラフ・ハリール(1280-1293)にも引き継がれます。ハリールはアッコを「キリスト教徒の拠点を破壊する」という大義名分の下、総力を挙げて攻略に向かったのです。

 

一方で、ヨーロッパの支援は十分ではありませんでした。十字軍国家が困窮している状況にもかかわらず、フランスやイングランドでは国内問題が優先され、支援は滞るばかり。こうしてアッコは、孤立無援の状態で圧倒的なマムルーク軍と向き合うことになったのです。

 

戦争の経過

1291年4月、スルタン・ハリール率いる大軍がアッコの城壁に押し寄せました。十字軍は最後の力を振り絞って抵抗を続け、マムルーク軍も予想外の苦戦を強いられます。激しい攻防が繰り広げられる中、数週間にわたる包囲の末、徐々に城壁は崩壊していきました。

 

5月18日、アッコの防御がついに崩れ、マムルーク軍が城内へと突入。逃げ遅れた兵士や住民は容赦なく討たれ、多くが捕虜として連行されることになりました。

 

この戦いの最中、聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団が奮闘したものの、数の差に抗えず退却を余儀なくされます。

 

こうしてアッコは完全に陥落し、十字軍の勢力は中東から完全に撤退することとなったのです。

 

戦争の結果

アッコの陥落により、地中海東岸の十字軍国家は事実上壊滅しました。ここで終焉を迎えた十字軍は、200年近く続いたキリスト教勢力の聖地防衛戦を完結させました。これにより、ヨーロッパ諸国は聖地奪還への執念を失い、中東における宗教戦争の潮流も一段落することとなったのです。

 

アッコ陥落後の十字軍騎士団は、地中海のマルタ島やロードス島といった場所へ拠点を移し、海上でのイスラム勢力との対抗を図るようになりました。しかし、かつての大規模な十字軍運動は見られなくなり、聖地奪還の夢もここで途絶えます。

 

戦争の影響

アッコ陥落の影響は中東だけでなく、ヨーロッパ全体にも及びました。この敗北によって十字軍運動の目的が見直され、宗教的対立から国家間の商業や経済競争がより重視されるようになったのです。とりわけ、ヴェネツィアやジェノヴァといった地中海の商業都市はイスラム勢力との交易を盛んに行い、経済的な利益を追求する方向へと進みました。

 

一方、十字軍を支持していた教会の権威も揺らぎます。特にローマ教皇庁は、聖地奪還に失敗したことで世俗的な影響力を失い、ヨーロッパ各地での宗教的求心力も低下したといえるでしょう。このようにアッコ陥落は宗教的意義だけでなく、ヨーロッパと中東の関係を新たな方向へと導くきっかけにもなったのです。

 

以上、十字軍戦争の一つアッコの陥落についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • 十字軍最後の拠点であるアッコが陥落した
  • マムルーク朝の強大な攻撃に対し、十字軍国家が孤立無援で戦った
  • アッコ陥落により中東から十字軍勢力が消滅し、ヨーロッパの宗教的影響が低下

 

・・・という具合にまとめられるでしょう。

 

ようは「アッコ陥落が十字軍の終焉を決定づけ、ヨーロッパと中東の関係が新たな局面へと移行した」という点を抑えておきましょう!