第9回十字軍は、イングランド王エドワード1世(1239年 - 1307年)が率いた、十字軍運動の最後の遠征でした。この遠征は、聖地をイスラム勢力から奪回するという壮大な目標を掲げていましたが、さまざまな要因が重なり、最終的には聖地を取り戻すことができずに終わります。エルサレムをめぐるキリスト教徒とイスラム勢力の長き争いに終止符が打たれた瞬間ともいえるこの遠征。第9回十字軍がどのような経緯をたどり、なぜ目的を果たせなかったのか、その詳細を見ていきましょう。
第9回十字軍の中心人物は、イングランド王エドワード1世です。彼はヨーロッパの最後の十字軍遠征を率い、聖地奪還のために全力を注ぎました。
エドワード1世(1239年 - 1307年)は、イングランド王であり、その勇猛さと強い意志で知られていました。彼はイングランドの内政改革を進める傍ら、聖地エルサレムの奪還にも深い関心を抱いていたのです。
バイバルス(1223年 - 1277年)はマムルーク朝のスルタンであり、イスラム勢力の中でも特に強大な影響力を持っていました。彼の軍事力と戦略が、十字軍にとっての大きな障壁となったのです。
ルドルフ1世(1218年 - 1291年)は神聖ローマ帝国の皇帝で、エドワード1世を支援する立場でしたが、内政問題が重なり大規模な援軍を送ることができませんでした。この支援不足が十字軍の行方に影響を与える結果となったのです。
第9回十字軍の主要な目的は、聖地エルサレムの奪還でした。エドワード1世は十字軍を率いてエルサレムを取り戻すことを計画していましたが、その過程でマムルーク朝の強大な勢力を前に苦戦を強いられることになります。また、キリスト教勢力の影響力を再び地中海東部に確立することも目的の一つでした。
エドワード1世は1271年に十字軍を率いてアッコ(現イスラエル)に上陸し、そこから軍を進めていきます。最初のうちはアッコ周辺で勝利を収め、イスラム勢力に圧力をかけることに成功しましたが、やがて強大なマムルーク朝の勢力が立ちはだかります。バイバルスの巧みな戦略により、エドワード1世は次第に進軍を阻まれ、戦況は停滞します。
1272年、エドワード1世はバイバルスに暗殺されかけるという事件に巻き込まれます。幸い命を取り留めますが、これを機に帰国を決意し、遠征は途中で打ち切られることになりました。この暗殺未遂事件と彼の帰国が、第9回十字軍の事実上の終焉となったわけです。
第9回十字軍は失敗に終わりました。エドワード1世の帰国により、十字軍の聖地奪還という長年の夢が完全に断たれたのです。1271年のエドワード1世の撤退後も、マムルーク朝はその勢力を拡大させ、最終的に1291年にはアッコの陥落によりキリスト教勢力は聖地から完全に追放されました。
このアッコの陥落は、十字軍運動の最終的な敗北を象徴する出来事とされています。エルサレムを巡る争いに終止符が打たれた瞬間であり、ここに十字軍運動の命脈が絶たれたわけです。
第9回十字軍の失敗は、キリスト教勢力による聖地支配の終焉を意味しました。この遠征を機に、ヨーロッパは聖地奪還の夢を諦め、内政や他地域への拡大に関心を移していきます。また、エドワード1世をはじめとする多くの国王は、この経験から地中海東部の遠征の厳しさを痛感し、宗教的情熱から距離を置くようになっていくのです。
十字軍運動の終焉は、ヨーロッパにおける新たな歴史的段階の始まりでもありました。以降、イスラム勢力とヨーロッパ諸国の関係は、宗教戦争から貿易や文化交流を通じた複雑な共存へと変化していきます。この歴史の流れを変えた第9回十字軍の失敗は、十字軍運動の終わりを象徴する重要な出来事だったのです。
以上、第9回十字軍とその最後の遠征についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「第9回十字軍はキリスト教勢力の聖地支配の終焉を象徴する出来事」という点を抑えておきましょう!