1202年に始まった第4回十字軍は、聖地エルサレムを目指すはずの遠征が途中から予定外の方向へと進んだ、異色の十字軍です。ここでは強大な勢力を誇るヴェネツィア共和国と、その商人たちが先導役として関わり、遠征全体を意のままに操ったとされます。この遠征が最終的に聖地へ到達せず、コンスタンティノープル占領に至った背景には、ヴェネツィア商人たちの政治的な動機と巧妙な戦略がありました。第4回十字軍を動かした「影のリーダー」とは誰だったのでしょうか?本記事ではその中心人物と遠征の結末について詳しく解説します。
第4回十字軍は1202年、キリスト教徒による聖地エルサレム奪還を目指して開始されました。しかし、従来の十字軍とは異なり、ヴェネツィア商人が大きな役割を果たした結果、目的地が途中で変更され、聖地ではなく東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルへ向かうことになります。
第4回十字軍の発端は、エルサレムが未だイスラム教徒の支配下にあり、聖地奪還が急務とされたことです。しかし、十字軍の中核メンバーが遠征費用を十分に用意できず、資金調達に苦慮していた状況にありました。ここで当時強力な商業国家であったヴェネツィアが、十字軍に対して輸送船や支援を提供することになります。
第4回十字軍の呼びかけ人はインノケンティウス3世(1161 - 1216)でした。彼はエルサレム奪還を目指して各国に協力を求めましたが、資金面の課題もあり、ヴェネツィア商人が大きな影響を及ぼす形となりました。インノケンティウス3世もその後、遠征の方向が逸れていく状況に困惑しながらも、完全に十字軍の進行を止めることはできなかったのです。
第4回十字軍には約1万2000人の兵士が集まりましたが、多くはヴェネツィア商人の援助を受ける必要がありました。商業都市ヴェネツィアが船団と兵士の輸送を一手に引き受けたことで、遠征の運命は次第に商人たちの意向に左右されるようになります。
第4回十字軍の行き先は、最終的に聖地ではなくコンスタンティノープルとなり、遠征はこの都市の占領で幕を閉じます。この異色の展開には、資金不足やヴェネツィア商人たちの利害が大きく影響しました。特にヴェネツィア共和国の指導者エンリコ・ダンドロ(1107 - 1205)は遠征を巧みに操り、自国の商業利益のためにコンスタンティノープル占領を目指したといわれます。
第4回十字軍のメンバーには、従来の十字軍とは異なる経済的・政治的動機が絡んでいました。ここでは、主要なリーダーとキーパーソンたちの役割を確認していきましょう。
ヴェネツィア共和国のエンリコ・ダンドロは、80代ながらも卓越した政治手腕を持ち、十字軍を指導する立場にありました。彼は輸送費用の支払いを求めて困窮する十字軍に、まずダルマチア沿岸のザラ(現クロアチアの都市ザダル)を攻略するよう促し、その後、コンスタンティノープルの占領をも計画したのです。この結果、ダンドロはヴェネツィアの商業利益を最大化しつつ、彼の宿願であった東ローマ帝国への影響力拡大を果たしたとされています。
続いてボニファチオ・デル・モンフェラート(1150 - 1207)は、第4回十字軍の名目上のリーダーでした。北イタリアの領主である彼はエンリコ・ダンドロと協力しながら、コンスタンティノープル攻略に積極的な役割を果たしました。彼はまた、東ローマ帝国の新たな指導者としての地位を確立するための重要な布石を打ち、遠征後の影響力を拡大していった人物です。
アレクセイ4世アンゲロス(1182 - 1204)も、第4回十字軍の進行において重要な役割を果たしました。彼は東ローマ帝国の皇位復帰を目指し、十字軍に資金提供を申し出て協力を求めたのです。しかし、コンスタンティノープル入城後に内乱が勃発し、アレクセイ4世も帝位を追われました。彼の提案によって十字軍は東ローマ帝国を目指すことになりましたが、その後の混乱が遠征の結末を一層複雑にしたのです。
第4回十字軍は、聖地奪還ではなくコンスタンティノープルを征服する結果に終わりました。この異例の展開は、政治的・経済的動機がどれだけ軍事行動に影響を与え得るかを示しています。この十字軍によってコンスタンティノープルの支配権はラテン帝国へ移り、東ローマ帝国の勢力が衰退する決定的な要因となったのです。
以上、第4回十字軍のメンバーについての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「商業的・政治的利益が十字軍の方向を決定づけ、異例のコンスタンティノープル占領へ導いた」という点を抑えておきましょう!