民衆十字軍の目的と結果|スパイと混乱に満ちた遠征

十字軍の目的「民衆十字軍」編

この記事では、民衆十字軍について解説しています。目的やその混乱に満ちた展開、スパイの存在などに注目し、民衆十字軍の詳細を探っていきましょう。

民衆十字軍の目的と結果|スパイと混乱に満ちた遠征

11世紀後半に始まった十字軍遠征は、信仰と献身に燃える民衆も巻き込む大規模な運動となりました。なかでも「民衆十字軍」と呼ばれる遠征は、意気込みとは裏腹に準備不足と無計画さが目立ち、多くの困難と混乱を生んだものです。さらに、スパイや内部不和が要因で悲劇的な結末を迎えることとなりました。この「民衆十字軍」について、その発端と目的、そして混乱に満ちた経過や結果を掘り下げていきます。

 

 

民衆十字軍とは

民衆十字軍(または農民十字軍)は、1096年に第一次十字軍の前に行われた動きで、一般市民や貧しい農民たちが主な参加者でした。修道士のピエール・ルエルミットが中心となって、熱い説教を行い、多くの人が聖地奪還を目指して立ち上がったんです。ただし、彼らは軍事訓練も装備も不十分で、まとまりのある軍隊とは程遠いものでした。

 

通常の十字軍(公式の第一次十字軍)は貴族や経験豊富な戦士たちで編成されており、戦略的で組織的でした。

 

民衆十字軍は途中で補給不足や地元住民とのトラブルに苦しみ、多くが東ヨーロッパやビザンティン帝国で命を落としてしまい、エルサレムには到達できませんでした。そのため、歴史的には失敗と混乱の象徴とされています。

 

民衆十字軍の主要人物

ピーター・ザ・ハーミット

民衆十字軍の中心人物であり、カリスマ的な修道士ピーター・ザ・ハーミット(約1050–1115)は、庶民に十字軍への参加を呼びかけました。巡礼者としてエルサレムへの訪問後、現地の状況を目の当たりにし、キリスト教徒の土地を守るために立ち上がったのです。彼の情熱的な説教により、信仰心の強い庶民が次々と集まり、膨大な人数がこの民衆十字軍に参加しました。しかし、指揮官としての経験や軍事的な知識は乏しく、不安定なリーダーシップが後の混乱を招く一因となるのです

 

ヴァルター・ザ・ペニーリス

ピーターとともに指導者的役割を果たしたヴァルター・ザ・ペニーリス(生没年不詳)は、フランス出身の騎士です。ピーターよりも軍事経験がありましたが、資金も物資も不足した状況で遠征を主導するには荷が重かったようです。結果的に、彼の存在も民衆十字軍が大きな成果を上げるには至りませんでした。

 

ビザンツ皇帝アレクシオス1世

ビザンツ帝国のアレクシオス1世(1048–1118)は、十字軍を支援する一方で、無秩序に押し寄せる民衆の群れを危惧していました。彼の支援を得るためにビザンツ帝国に向かった民衆十字軍は、一時的に保護されるも、その先はアレクシオス1世の計画に組み込まれることなく進むことに。その結果、民衆十字軍はビザンツ帝国の支援を十分に受けることができず、遠征が行き詰まる原因となりました。

 

民衆十字軍の概要

遠征の目的

民衆十字軍の目的は、キリスト教の聖地エルサレムをムスリム勢力から奪還し、神聖な場所を守ることでした。しかし、資金も兵器もない民衆が主導したために、その行軍は計画性を欠いていたのです。遠征の途上、食料や物資の調達に苦しみ、次第に道中での略奪や無法な行動が横行するようになります。また、組織化されていない民衆が多かったため、統率が取れず、その勢いはむしろ災難の元凶ともなってしまいました

 

遠征の経過

民衆十字軍は、まずビザンツ帝国に向かって進軍しました。ここで、アレクシオス1世の助けを受けようとしますが、無計画で混乱した集団を支援することに彼も躊躇します。それでも一時的に食料や休息地を提供し、十字軍をビザンツの領地を超えて小アジアへ向かわせました。ところが、ビザンツの国境を越えた途端、セルジューク朝の軍勢が立ちはだかり、戦闘が勃発。このとき、統率のとれない民衆十字軍は次々とセルジューク朝の軍に敗北し、士気が下がるばかりでした。

 

さらに、戦況が悪化する中で、「スパイがいるのでは?」という疑惑も浮上します。互いに猜疑心を抱き、不和が増大し、遠征の団結力は低下。もともと脆弱だった統率力が完全に崩れ、逃亡者も現れます。

 

民衆十字軍は、その多くが捕虜や犠牲となり、残った人々はヨーロッパに帰還しました。

 

遠征の結果

民衆十字軍はその目標を果たすことなく、ほとんどの参加者が命を落とすか捕虜となり、わずかな者が帰国するという結末に終わりました。エルサレムを解放するどころか、遠征の過程で各地に混乱をもたらし、ヨーロッパ諸国に悪影響を残しました。彼らの敗北は、後の十字軍に教訓を与え、無計画な軍隊では目的を達成できないことを強く示したのです

 

民衆十字軍の影響

後の十字軍運動の反面教師に

民衆十字軍の失敗は、組織力や軍事的な準備がないと大規模な遠征が成功しないことを証明したといえます。この計画は後に続く公式な十字軍にとってある種の反面教師となり、貴族や騎士による組織的な指導と計画が必要であることを明らかにしたのです。

 

ビザンツ帝国との関係悪化

民衆十字軍がコンスタンティノープルを通過する際に起こした混乱や略奪行為は、ビザンツ帝国と西欧キリスト教諸国との関係を悪化させました。これにより、後の十字軍運動においてもビザンツ側が不信感を抱き、協力が難しくなってしまったのですね。

 

市民層の影響力を示す

民衆十字軍は、正式な十字軍開始直前、ヨーロッパの宗教的熱意が一般民衆にまで広がっていたことを象徴しています。これ以降、市民層がどれだけ力を持ちうるか、そしてその宗教的情熱がいかに社会的・政治的動きに影響を与えるかが明確になり、中世の社会構造や宗教指導者の役割について再考されるきっかけとなりました。

 

市民層が一体となって宗教的目的に向かう姿は、後に市民社会が政治的主体として台頭する予兆といえ、個々の地域社会が結束を持って政治に影響を与える、国民国家形成の土台ともなったのです。

 

以上、民衆十字軍についての解説でした!

 

ざっくりと振り返れば

 

  • カリスマ的修道士ピーター・ザ・ハーミットにより結成された
  • 目標はエルサレム奪還だったが、準備不足で行軍に失敗
  • 無計画と猜疑心で崩壊し、各地で混乱を招いた

 

・・・という具合にまとめられるでしょう。

 

ようは「無計画な軍事行動は成功をもたらさない」という点を抑えておきましょう!